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医療・介護領域で働くひとと経営学をBridgeするコラム〜「知っているつもり」におちいるな-人は自分が思うより自分勝手で無知であるー①〜

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八木 麻衣子 聖マリアンナ医科大学東横病院 技術課長補佐

人の認知は非常に曖昧なものであり、「限定された合理性(bounded rationality)」の中での意思決定を余儀なくされています.また、知識の錯覚により、自分の知識を過大評価してしまう傾向も存在します.そのため、状況に則した適切な意思決定を可能とするためにも、「知っている(know)」と「理解している(understand)」の違いに関しての無自覚さを認識し、さまざまな事象をより客観的に解釈することを心がけていきたいものです.

目次

    人間は自分が思うより「無知」であり、曖昧な世界で生きている

    みなさん、こんにちは.医療・介護領域で働く人と経営学をBridgeするコラムにようこそ.

    今回のコラムでは、人の認知や理解は曖昧なものであり、思っている以上に自分にとって物事を都合の良いように解釈してしまう傾向があることをお伝えしていきます.そのような中でも、「知っている(know)」と「理解している(understand)」の違いに関する無自覚さを認識しておくだけで、さまざまな事象をより客観的に解釈することが可能となるのではないでしょうか.

    そもそも、なぜ経営学の領域で人の認知の話が必要なのか、という方も多くいらっしゃると思います.経営学の学問としての歴史はまだ浅いのですが、「経済学」、「社会学」、そして「心理学」が基本的な基盤となっています.その中でも、経営理論の多くは経済学的な考え方に立脚していますが、古典的な経済学においては、ヒトを「合理的な意思決定に基づいて行動を選択する存在」として仮定しています.

    「合理的である」ことにはいろいろな意味を含みますが、自分の意思決定や行動について、他者からみても整合性の高い理由を明確に説明できること、と解釈できます.

    一方、私たちの人間における日々の意志決定や行動は、果たして本当に合理的でしょうか.

    人の認知には限界があり、全ての情報を把握したうえでの判断は不可能です.また、そのときの感情や気分によって行動が変わることも多く、ときに傍からみると「非合理的」な選択をすることも多くあります(酔っ払った後に食べる背徳的な真夜中のラーメン、バレたら社会的制裁を受けるとわかっているのに止められない不適切な関係などなど…、例を挙げたら枚挙に暇がありません).

    そのため経営学では、本人の価値観、認識や知識などを含め、人間は限られた範囲で合理的に判断して意思決定をおこなうという、「限定された合理性(bounded rationality)」を前提とした、心理学的な観点での分析が盛んにおこなわれています.

    そんな不完全な私たち人間ですが、なにかしらの判断や決定をおこなうためには、まずもって物事を「認知」することが必要です.

    認知とは、個人がなにかを見聞きしたときに、視覚、聴覚、触覚などの感覚を通して得た印象を体系づけて解釈し、意味を持たせる一連の過程のことをいいます.この認知の過程は、人格・パーソナリティー、態度(それについて好ましく思っているかどうか)、動機(そうしたいと思っているかどうか)、興味を持っているかどうか、過去の経験、期待など、さまざまな要因からの影響を受けており、同じものを見たり聞いたりしても、人によってその受け取り方はとても異なります.

    そのためマネジャーは、私たちの誰一人として、目の前にある事象を全く同じようには解釈をしていない、という前提で組織マネジメントに取り組むことが大切になります.

    そして人間は、認知したものを知識として蓄え、知性として活かしていく過程においても、情報処理能力はかなり限定されているにも関わらず、自分は十分な知識を持ち、そこから導き出した意見は正しい、と確信してしまう傾向が存在します.

    例えば、RozenblitとKeil(2002)がおこなった説明深度の錯覚の実験では、まず被検者に自分がファスナーの仕組みについてどれだけ理解しているかを7段階で答えてもらい、その後に具体的な説明を求めました.そして再度、ファスナーの仕組みに対する自分の理解度を7段階で答えてもらうと、多くの被検者において説明を求められたことが実際の理解度の自覚を促し、自己評価の点数が下がる結果となったのです.

    このような差はどこから来るのでしょうか.

    まずは前述したとおり、「知っている」と「理解している」の違いに関しての無自覚さが考えられます.

    知っている(know)とは、事実ないし確実とされている知識や情報を知覚したり認識したりすることです.一方、理解している(understand)とは、 認識した物事の道理がわかり、意味・内容などを正しく判断して応用できること、そしてそれを他者に伝え、他者の理解を引き上げることができる、ということになります.

    たとえば、私たちの多くは、いろいろな情報からCovid-19の存在や一般的な予防の方法を知っています.しかし、ウィルスの生態や発症のメカニズムなどを含んだ込み入った話については、なんとなく知ってはいるけれども、理解しているとは言い難い、そんな状態なのではないでしょうか.

    このように、人の認知は非常にあいまいなものであり、私たちは知識の錯覚により物事や世の中の仕組みに対する自分の知識を過大評価する傾向にあります.そんな私たちは、どんな知識の錯覚やバイアスに気をつけなければいけないのか、次回のコラムでより具体的に考えていきたいと思います.

    【引用文献】
    Leonid Rozenblit, Frank Keil : The misunderstood limits of folk science: an illusion of explanatory depth. Cogn Sci. 2002 September 1; 26(5): 521–562. doi:10.1207/s15516709cog2605_1

    【参考図書】
    スティーブン スローマン (著), フィリップ ファーンバック (著)
    知ってるつもり――無知の科学、早川書房 (2018/4/4)

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