前回は第1回目のコラムとして私の治療に対しての考え方をご紹介しました。
今回は治療を行うにあたり、どのような手段を選ぶべきかを考えてみたいと思います。
目覚ましい医科学の進歩に加え、数多くのセミナーや文献、インターネットの普及に伴い、治療法も多様化してきました。
そのうえで、最も重要と考えるのは「治療というものをどのように捉えるのか?」であると考えています。
結論から述べると、「私は治療法は何でも良いが、どうでもよくない」と考えています。つまりは、患者さんの立場から見ると、「とにかく治ればよいのですが、治療家として、治った理由がわからないのは良くない」ということです。では、まずは治療を捉えるうえで重要となる要素に関して考えてみましょう。
- 生体は恒常性を有する。
- 疾病とは恒常性が破綻した状態である。
- 破綻した恒常性を回復させることが出来れば、治癒可能なものは治癒する。(反対に治癒不可のものもある)
これからもわかるように、繰り返しになりますが、恒常性を回復させることができるならば手段は「何でもいい」。
ただし、「個々のクライアントの身体状況・精神状況・性格特性・社会的状況、加えてセラピストの能力にあった手段を選択しなければならない。」と私は考えています。
したがって、治療法は「何でもいいけど、どうでもよくない」のです。
「何でもいいけど どうでもよくない」という基本的方針によってクライアントが望む生活に適応できる心と身体をつくっていく。
次に、もう少し詳しく「何でもいいけどどうでもよくない」について考えてみたいと思います。
①『何でもいい』について
皆さんが、セミナーに参加される場合、自宅からセミナー会場に来るためには、電車・車・自転車・徒歩などの複数の交通手段と複数の交通ルートがあると思います。
どれを選択しても目的地であるセミナー会場にはたどり着くことができます。
富士山の登山をする際にも登頂ルートは一つではなく、山梨側から登るか、静岡側から登るか、御殿場ルートなのか、吉田ルートなのかなど複数の選択肢の中から選ぶことができます。
このように、セミナー会場に行く、富士山に登るという最終ゴールは治療においては「治る」というゴールになり、その治るための治療法は何でも良いのです。
** ②『どうでもよくない』について**
先ほどのセミナー会場に行く例で考えてみると、「どうでもよくない」とは、たとえ目的地に到着したとしても、
- どんな種類の車や自転車に乗ってもいいけど、共通する運転方法は身につけておかなければならない。
- どのルートから通ってもいいけど、交通ルールは守らなければならない。
- どんな交通手段や交通ルートを使ってもいいけど、開始時間に間に合わなければならない。
ということになります。
したがって、皆さんが治療を行う際でも、様々な手段を択ばれると思いますが、その治療法の基本的な知識技術、治療哲学、人としての在り方などが重要であると考えています。
ここがおろそかになれば、それはたまたま「治った」のであって、「治した(治癒過程をサポートした)」ことになりませんし、場合によってはクライアントの「治るを阻害する」ことにもなりかねません。
まとめとして、治療を行う上で、治るための本物の選択肢(手技、運動療法、物理療法など)を極めて、適切なルールにのっとり患者さんに提供することが適切であると考えています。
次回は「原因について」の私の考えをご紹介いたします。
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