田中創の痛みコラム 1-(1) 痛みの捉え方の変遷

(1) 痛み治療の歴史 Part 1

これから近年の痛みの捉えかたについて,いくつかの話題を取り上げていきます。所々,話が脱線してコンテンツ通りにいかないところもあるかもしれませんが,それはオマケとして寛大な心で受け取っていただけると嬉しいです。

さて,早速今回の話題に入っていきましょう。痛みに対する治療の歴史は非常に古く,最も古いものでは紀元前50世紀までさかのぼると言われています。その痛みの治療法として,はじめて記載されているのは,古代の鍼治療(今でいう中国鍼)でした。その後,ヒポクラテスの誓いの中で,次のような記載が見られます。

「医術とは,病気による痛みや苦痛を取り除き,病気の勢いを鎮め,病気に負けた人を救うことである」

このヒポクラテスの誓いが世に出てきたのは紀元前4世紀のことです。

1641年になると,Descartes(デカルト)による「心身二元論」が提唱されます。デカルトが推し進めた心身二元論とは,身体と心は密接に関わっているものの,痛みを捉える上では(科学的な態度で現象を捉えるためには)身体と心をあえて切り離して考えようというものです。この思想により「身体機械論」として,痛みが科学的に捉えられるようになり,痛みの学問は飛躍的に進歩しました(図1)。


  (図1 心身二元論)

一方で,この心身二元論の思想は,心の問題を蔑ろにしてしまう恐れがあり(デカルトはそのような想いで心身二元論を提唱したわけではないと思いますが),痛みを捉える上では身体の状態に加え,心の状態も同様に受け容れていく必要性があるのは言うまでもありません。実際に,この心身二元論は現代医療にも根強く残っており,今年の日本疼痛学会における大会テーマにも「心身二元論からの脱却と新たなる挑戦」が掲げられています(図2)。


  (図2 第41回 日本疼痛学会)

その頃,日本では1713年に貝原益軒による「養生訓」が提唱されました(図3)。養生訓とは「毎日少しずつ運動するのがよい。長く座ってはいけない。(中略)鍼・灸をして熱い思いや痛みに耐えるよりも,軽い運動をすれば,痛い思いをせずして楽に健康を保持することができる(一部抜粋)」というものです。これは,現代の痛み治療や予防にも通ずる部分があり,運動を行うことの重要性は古くから経験則として人々の生活に馴染んでいたのだと思います。


 (図3 養生訓 Amazon.co.jpより引用)

その後,1764年に坐骨神経痛の記載が出てきたり,1895年になると,Frey(フレイ)によって,痛みが他の感覚とは独立した感覚(Freyの特殊説)であることが提唱されました。このように,長い年月を経て痛みの学問は発展を遂げてきました。1900年代になると,より細かく精度の高い研究により,痛みの学問は更なる発展を遂げます。

その中心的な役割を担う組織として国際疼痛学会が設立されたのは1974年のことです。世界中のあらゆる痛み研究者が集まり,最新の痛みの知見について議論する場です。私も2016年に横浜で開催された第16回国際疼痛学会に初めて参加させていただき,その参加者・演題の多さと情報量の凄さに圧倒されたのを覚えています。そこで刺激を受け,2018年にボストンで開催された第17回国際疼痛学会では,私も発表を務めてきました(図4)。ガチガチの日本語英語でろくにディスカッションも出来なかったことは言うまでもありませんが…(苦笑)。その時の経験談は,また別途機会を設けてお伝えさせていただければと思います。ちなみに,第18回国際疼痛学会は2020年8月にオランダで開催予定です。


  (図4 第17回 国際疼痛学会での演題発表時の写真)

次回は「痛み治療の歴史 Part 2」と題して,1900年代から近年の痛みを捉える上でのトピックスを取り上げようと思います。

*本内容は慢性疼痛管理学コース (牛田享宏先生) から内容を一部抜粋しています。

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